🚶🏻依存症専門病院・施設へ行く🚶🏻♀️
(独)国立病院機構久里浜医療センターによる
依存症に対応できる専門の医療機関・回復施設 ➤➤
※この話は実際の出来事に基づいていますが、個人のプライバシーを守るため、職業、性別、場所を変更しています。登場人物の特定や詮索はご遠慮ください。お酒は心のガソリン:アルコールで埋める孤独と不安
初めてお酒をちゃんと飲んだのは15歳の時でした。高校の友達と飲み、そのときはとても楽しかったです。そこでお酒を飲むと気持ち良くなることを学びました。高校一年生の春休み前におばあちゃんがお家に来てくれて、その時にある栄養剤を勧められました。
「これを飲むと次の日うんと元気になるよ」
と言われ、間に受けて飲み、そしたら次の日とても元気になりました。
それがきっかけで、その栄養剤に依存し、1日に何錠も飲むようになり、だんだんそれは効かなくなりました。
その時に思いついたのがアルコールでした。お酒を飲めば、酔えて楽しくなるし、楽に生きれるんじゃないかと思いました。子供の頃から孤独感を強く感じたり、見捨てられ不安が強かったのですが、お酒を飲むとその不安をなくすことができました。高校一年生の春休みくらいから、友達と会う前にお酒を飲んで会うようになりました。
お酒は自分のガソリン代わりでした。
酔いが覚めるのが怖くなり、ペットボトルに酎ハイをいれて、これはジュースだといって、お酒を隠すように飲むようになりました。
だんだん家族にもお酒を隠して飲むようになりました。増加する依存:学校生活の中の隠れた飲酒
春休みが明け、新学期が始まる時、私はすでにシラフで友達と会うのが怖くなっていました。
ダメだとわかっていたのですが、お酒を飲んで学校に行きました。
友達が酔っ払っている私を面白がってくれたのが嬉しく、それを毎日続けました。
高校にもペットボトルや水筒に酎ハイや焼酎を入れて、トイレで飲んだり、授業中にも飲んだりしていました。
友達によく「酒臭い」「なんで顔赤いの?」と言われていたのですが、
「これは香水の匂いだから」「今暑いから」などと誤魔化していました。法律と道徳の境界:窃盗と精神的危機
お金が足りなくなりお酒や食料を万引きするようになりました。
親にも迷惑をたくさんかけるようになってしまいました。
お酒をやめたくてもやめられない自分がいました。
自殺願望も出てきました。決断の瞬間:教師との対峙とリハビリへの一歩
高校2年生の冬休み前に、先生に呼び出されて、
「酒飲んでるのか?」
と聞かれました。
最初は否定したのですが、もうこのまま生きていくのは無理だと思い、
「私はアルコール依存症で、学校でもお酒を飲んでます。高校を辞めて入院をしたいと思います。」
と先生に電話をして、高校を辞めて入院することになりました。長期戦:アルコール依存症との生涯の闘い
未成年でも受け入れてくれるアルコール依存症専門病院に入院をし、7ヶ月間治療をして、とても元気になりました。
この元気は一時的なもので、一生をかけて治療をしないと戻ってしまうのがアルコール依存症です。
私はこれからずっと、この病気と向き合って生きていかなければなりません。
一人では無理なので、AAに参加して断酒を継続しています。
※AA、断酒を継続するための自助グループ
(2)「絶望からの復活」15歳の少女が辿ったアルコール依存症からの回復の道 ➤➤
(3)「見捨てられた心」15歳のアルコール依存からの克服と分析 ➤➤