依存症の深刻な影響と回復を描いた実体験。友人との関係でプレッシャーからお酒への依存が始まり、最終的には法的な問題に直面しました。依存症治療施設での入院、薬物治療、カウンセリングを経て、新たな自己認識と健康的な人間関係を築く過程です。これは依存症からの回復が可能であることを示し、希望を与えます。
★依存対象が必要となった「きっかけ」を知る
友人から「ノリが悪い」と言われ落ち込み、周囲に合わせようとしても普段の自分では合わせられなかった。夜、飲み会がありお酒を飲むことで元気に振る舞えたことから、昼間もお酒を持ち歩き元気に振る舞うようにした。
やがてドパミンが機能しなくなっていき、元気に振る舞えなくなり、ますますお酒の量が増えていった。1日中、お酒を飲んでいる状態が続いた。
所持金があまりないが、お酒がないと自分はダメだと思い、万引きをして警察に捕まってしまった。
★依存症専門の病院へ入院
自分をコントロールできなくなったため大学を休学して入院をした。
逮捕され周囲に迷惑をかけてしまった。自分はダメな人間だと苦しくなり自殺したいと思うようになってしまった。この苦しみから抜け出したかった。そして、ネット検索で依存症の病院について知り、周囲の勧めではなく自ら入院をした。
病院では強制的にお酒を飲めない環境になった。入院中は抗酒薬(ジスルフィラム、シアナミド)や飲酒欲求を減らす薬(アカンプロサート)を飲んだ。抗酒薬を飲んでいる間は、お酒を飲むと非常に気持ちが悪くなるためお酒が飲めなくなる。アカンプロサートは飲酒への欲求を減らす。
★病院での勉強会
どうしてコントロールできなくなったのか依存対象やドパミン、報酬系の構造を学んだ。
依存対象が違えども、すべて同じ報酬系と関係している。報酬系は人の喜びや楽しみを感じさせる神経だが、強制的に刺激を加え続けると、それがうまく機能しなくなり、依存対象が一番の優先順位になってしまう。周囲に迷惑をかけたり、生活のリズムが崩れたり、それによって犯罪までしてしまうことがある。
★カウンセリング
週に数回、カウンセリングを受け、何でも話して心の整理をしていった。
★自分は依存症で依存対象によって自分自身をコントロールできないことを認める。
自分の状態を認めることによって回復がはじまる。
★家族と自分について考える
自信のなさは、育った環境の中で自分の意思や意見を尊重されなかったからだと気づく。両親は離婚をし、父親に引き取られたが口論になるといつも暴力を振るわれ黙らされていた。食卓には食べ物はなく、いつも空腹だった。父親は仕事帰りに酒を飲んで帰ってきて、家でも缶チューハイを5本ほど飲んでいたが、自分にはお金を回してくれなかった。また、入院に関して父親の理解は得られなかった。
★人間関係の改善でストレスを減らす
いままでの友人関係はいいものではなかった。馬鹿にされ罵られるようなことがあっても、必死にその人間関係にしがみ付いて、友情や良好な関係を求めてしまっていた。家庭内で求められなかった関係を他で埋め合わせようと必死だった。しかし、本当に良い人間関係とは互いに認め合い尊重し合える関係ではないか。これから良い友人に出会えるかわからないが、自分がそういう人間になろうと思った。
★家族との関係を良くする(無理はしてはいけない)
家族とは分かり合えないが良好な関係を続けるために距離を空けるようにした。分かり合えないが相手を尊重した態度をとり良い関係にしたいと思った。
★感覚や感情が戻ってくる
お酒を飲まなくなったことで、ドパミン神経が回復していき、喜びや楽しさの感情が戻ってきて、将来の希望や自分にたいする期待を持てるようになった。
★退院後
病院では持ち物のチェックがあり、お酒を所持することはできないし、抗酒薬のおかげで飲みたいとも思わなかったが、社会に戻ると様々な誘惑がある。
現在、断酒を維持して自分を見失わないようにするために、アルコール依存症の自助グループに通っている。バイト先や学校での人間関係でストレスや不安を抱えてしまうこともあるが、そこで、自分の話をして他人の話を聞くことでお酒を飲まないことを維持している。